松本城にやってきた。場所は長野県松本市、松本インターチェンジからほど近くの所にある。
最初から計画していたわけではなかったが、カーナビの松本城という名前を見ているうちに、急に行きたくなったので立ち寄った。
途中、交差点で長い渋滞にあたったので、ひょいと裏道に逸れたら、妙な裏道に入りこんでしまった。
だが、その先にはたまたま大きな駐車場があった。大通りに「バスは大手門前駐車場へ」という看板があったが、そこまで行かなくてもよくなったのでラッキーだった。
こちらは城の表側ではなかったが、近くにおそば屋さんもある。
よし、帰りにそこでおそばを食べて帰ろう。
しかし、駐車場から見える城の天守閣は、あらっ? と思うほど小さかった。丘の上に建つわけでもなく、思いきり平城だ。しかも、ちょっと大きめのお寺ぐらいにしか見えない。
ちょっと意外だった。 |
 |
 |
|
 |
駐車場から城へは徒歩数分。
堀にかかる赤い橋の向こうに黒い天守閣がそびえる様子は、思わず息を呑むほど美しかった。
江戸時代初期までに建設された城の天守閣が現存する城として国の史跡に指定されており、天守閣は国宝になっている。
別名「烏城(からすじょう)」。
姫路城がその白く優美な姿から白鷺に例えられるのとは対照的に、こちらは黒っぽいのでカラスというわけだ。 |
戦国時代、信濃に勢力を持っていた小笠原氏によって築城された深志城が前身で、1504年の築城と伝えられている。
武田晴信(のちの信玄)の侵攻によって小笠原長時は信濃を逃れ、深志城は武田家の支配下に入った。
余談だが、2007年の大河ドラマ「風林火山」で小笠原長時を演じていたのは今井朋彦という俳優さん。消臭プラグのCMで殿様の扮装をして「小さいけれど〜♪」と歌っていた、あの人である。 |
 |
ドラマでは、長時は小心で器量の小さい人物として描かれていたが、今井氏はこうした小物を演じさせたら天下一品だ。しかし、後で紹介する長時の逸話は、なかなか風流なお殿様だったことを窺わせる。
1582年4月、武田勝頼が自害して武田家は滅亡した。その3ヶ月後には本能寺の変が起こり、織田信長も自刃。
これにより徳川家康に仕えた長時の三男・貞慶は旧領を回復した。深志城に入り、やがて松本城と改名する。 |
翌年、小笠原長時は身を寄せていた会津で死去した。享年70歳。越後、京、再び越後と、あちこち放浪した末の客死であった。
1585年、貞慶は徳川家康の重臣・石川数正とともに家康の元から出奔し、豊臣秀吉に仕えた。 |
 |
しかし数年後、秀吉の怒りを買って改易されたため再び家康の元へ戻り、1590年、貞慶の嫡男・秀政が下総古河に領地を賜る。
松本城へは、貞慶と一緒に復帰した石川数正が入った。
この数正が松本藩の初代藩主となり、その嫡男・康長とともに天守閣、城郭、城下町の整備を行った。
1613年4月、疑獄事件に絡んで石川氏は改易となり、代わって小笠原秀政が松本城主となった。こうしてついに小笠原氏が返り咲くこととなるのである。
橋を渡って、入り口受付へ。
そこに立っていた職員が「お城の入場まで40分待ちになってます」と告げてきて、驚く。城の方を見ると、確かに長蛇の列ができていた。
せっかく来たんだから庭園だけでも歩こうかということになって、料金を支払って中に入る。
←入り口のパーゴラの藤が美しく咲きほこり、芳香を放っていた。 |
 |
|
 |
松本城は姫路城、彦根城、犬山城とともに4つある国宝城郭のひとつだ。
5重6階の天守を中心にした連結複合式天守で、日本最古といわれている。初期の天守に多く見られる、土壁の下部を板で覆った下見板張が特徴だそうだ。
さて、せっかく松本城に復帰した小笠原秀政であったが、1615年の「大坂夏の陣」で嫡男ともども戦死。その後、松平氏、水野氏、戸田氏とめまぐるしく城主が代わった。
明治維新後は競売に掛けられるが、地元有力者の尽力によって買い戻され、明治、大正、昭和時代の修復・復元工事を経て現在に至っている。
城の正面にやってきた。確かに入場のための長い行列ができている。
わたしたちはこれに並ばず、行列の横を通って城の真下にまで進んだ。 |
 |
 |
 |
 |
姫路城のような華麗さはないが、この黒さがかえってクールでカッコイイ。黒装束の悪党が根城にしているようなイメージと言ったら、松本の人に失礼だろうか。
現在、ユネスコ世界遺産への登録を申請中だとか。姫路城に続いて頑張れー! |
|
 |
庭園でひときわ華麗に咲く「小笠原牡丹」。
説明の立て看板によると、「天文19年(1550年)7月、甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂えて、里山辺の兎川寺に託して去った。
この牡丹を守ってきた久根下家は、昭和32年と平成18年にその株を松本城本丸に移した。
これが小笠原牡丹である」とのこと。 |
 |
これが長時が愛でたという純白の牡丹か・・・って、これピンクじゃーん!! まわりを見回しても、純白の牡丹なんてない。これってどういうこと?
預かった久根下家が牡丹を枯らしてしまって、適当な株を「こ、これこの通り、無事にございます」と言って提供したはいいけど、咲いてみたらなんとピンクだった・・・なんてことじゃないよね、たぶん。
そもそも、牡丹の株って400年も長生きするものだろうか。謎である。 |
しかし、先ほどは「風流なお殿様」と評した小笠原長時だが、敵が攻めこんでくるっていう非常時に牡丹を移植させるような殿って、どーよ?
一刻も早く逃げたい家臣としては、「牡丹なんかどうでもいいから早く早く!」という心境に違いない。まあ、移植作業を見届けたわけじゃなくて、誰かに「任せたぞ」と言って落ちのびたのだろうが、これを風流とみるか、バカ殿とみるかは意見の分かれるところだ。
花好きのわたしとしては、長時の牡丹を想う気持ちがとてもよく理解できる。時代を経て無事にお城に戻った牡丹を見て、よかったねとつぶやいてみる。
しかし、色が違うのがちょっと気になるけど。(別の場所にちゃんと白牡丹があることが、後ほど判明しました。じゃあ、あのピンクはいったい何!?) |
 |
さて、ぼちぼち帰ろうかというときだ。
ヨロイ兜を身にまとい、鉄砲を持った戦国武者がいきなり現れた。
記念撮影のサービスがあるらしい。しかも、2,500円くらい取るのかと思いきや、なんと無料だという。
ローマのコロッセオでは、古代戦士の格好をした人がお金を取って記念写真に収まっていたぞ。なんと太っ腹なんだ、松本市!
というわけで、わたしたちも写真を撮ってもらうことにした。 |
最初の数組のときは2人の武者しかいなかったが、わたしたちの番になると数が増え、ちょっとした小隊編成くらいにはなっていた。
少々武者らしからぬ人も混じってはいたが、本物の鉄砲も持たせてもらい、ずっしりと重さを感じての撮影だった。
撮影が終わってカメラを受けとると、シャッターを押してくれた武者が、被っていた兜を脱いだ。今日は日差しが強く、歩いているだけで汗ばむような陽気である。彼はハンカチで、したたる額の汗を拭いた。
わたしが「熱いのに大変ですね」と言うと、頭髪のちょっと寂しい撮影担当さん、「そうなんですよ、髪が薄くなっちゃってねえ」と笑い、再び兜を被った。(カブトをかぶっとこ、なんてね(笑))
実際、戦国時代半ばから武士に定着した月代(さかやき。頭の一部を剃ること)は、兜で頭が蒸れることから始まった。
頭が熱くなってのぼせ、おかしくなる人がいたからとか、髪が抜けちゃうからなど諸説あるが、そのうち兜を被らない町人まで剃るようになったんだから、風俗・文化とはおもしろいものだ。
ただ城を見て帰るだけで終わらず、こうしたイベントがあってひときわ印象深い松本城であった。 |
|
|
|