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 杉江家のどこでも別荘 キャンプ日記
                〜31フィートのキャンピングトレーラーとアルカディア22ft、温泉情報

 
   


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平成17年7月15日(金)〜18日(月)Vol.149
 

場所:滋賀県高島市朽木大野   MapFan
7/15〜16 出発から名古屋、滋賀県へ
今週は久しぶりの関西キャラバンだ。滋賀県の旧・朽木村で関西オフが開かれることになり、わくわくしながら東京を発った。
朽木は数年前、キャラバンMLの全国大会に参加したことのある思い出の地。久しぶりに関西のメンバーさんたちとお会いできるのも楽しみだった。
今夜中には到着したいと思っていたのだが、息子の塾だのなんだかんだと色々あって、東名高速道を西へと走り出した頃には、もうすっかり夜になっていた。これでは、いくら急いでも今夜中に到着するなんて絶対無理だ。金曜日の夜ということもあり、輸送トラックが追い越し車線までぎっしり詰まっていて、なかなかスピードが出ない。
深夜零時を過ぎた頃、しょうがないからここでP泊しようと浜松サービスエリアに入った。だが、端から端までトラックがぎっしり駐車している。とても安眠できそうにないと、わたしたちは再び走行車線へと戻っていた。ああ、浜松のウナギ、食べたかったのにぃ・・・。
別に運送業界を責めるわけではない。なんでもすぐに手に入る便利な現代生活は、輸送トラックによって成り立っていると言っても過言ではない。
だが、大型トラックのアイドリング音はガラガラと非常にうるさい。これは車中泊の時、とっても困る。
キャンピングトレーラーの防音性はとても低くて、アイドリング中のトラックに挟まれたら熟睡は不可能だ。
わたしたち夫婦は、どうしても静かなところで休みたかった。疲れていたし、明日もたくさん走らなくてはならない。だが、名古屋市に入ったところでとうとう疲労と睡魔に打ち勝てず、本郷SAで一泊することになった。
しかし、静かなところを探そうと、どこをどう動いても絶対にトラックとはお隣同士になってしまう、そこは過密状態。いろいろ悪あがきして移動してみたが、結局は両側をトラックに挟まれての駐車を我慢するしかなかった。
それでも物事というものは、反対側の面から見ると良い面もあるものだ。
この夜は暑かった。夏だから当然だが、とにかくクーラーなしに寝られないくらいの暑さだった。クーラーをかけるには、発電機を回す必要がある。周囲のトラックがすべてアイドリングしっぱなしということが幸いして、わたしたちも発電機を回したまま就寝することができた。そして、トレーラーの発電機とエアコンの音が周囲のアイドリング音を掻き消してくれる格好になり、けっこう安眠できちゃったのである。
上の画像は、翌朝7時に起きて撮影したもの。レストランに朝ご飯を食べに行っているあいだに、両側の二台はいなくなっていた。
右は、名古屋名物「天むす」のおにぎりとラーメン。「天むす」の味は、ひまひとつだった。やっぱ、味噌カツ定食か”ひつまぶし”にすれば良かった〜!
 
7/16 長浜城を見学
朝ご飯を終え、出立。再び東名道をひた走ると、小牧インターチェンジから先は名神自動車道になった。そして岐阜県に入ると、天下分け目の決戦で有名な関ヶ原(1600年)を通る。いいなあ。このあたりをゆっくりと散策して、古戦場跡などを見てみたい。と、そう思ってはいても、車はどんどん先へと進んでしまう。やがて米原ジャンクションから北陸道に乗り換え、長浜市に入った。琵琶湖はまだ見えないが、もう目の前にあった。
長浜と言えば、豊臣秀吉が初めて一国の大名となった折に建てた長浜城があるところ。大河ドラマファンのわたしは、かねてから一度そのあたりを見てみたかった。
このまま突っ走れば、昼前には目的地に着ける。だが、それではあまりに味気ないではないか。
せっかく大河ドラマゆかりの地(?)の宝庫に来ているというのに、ぜんぶ素通りだなんて。
そこで、わたしは夫に長浜城跡に行きたいと訴え、長浜ICで降りることを納得してもらった。
長浜城跡は「豊公園」の一角にあり、大型バスも駐車できる大駐車場を備えていた。
トレーラーを停めると、わたしは子ども二人を連れて車を降りた。夫は仕事の電話がかかってきて、その対応に追われていた。もともと見学には気乗り薄だった夫にはそのまま残ってもらい、わたしたちは豊臣姓にちなんで名付けられた「豊公園」へと入っていった。
お城自体は、残念ながら残っていない。こうして本丸跡の石碑があるだけだ。
天正元年(1573年)、織田信長が近江一帯の国主・浅井長政の小谷城(おだにじょう)を攻め、浅井氏は滅亡した。
戦功のあった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は浅井氏の領地の大部分を与えられ、初めて城持ち大名に出世した。羽柴秀吉と名を変えた彼は交通の要である今浜の地に城を築き、天正3年秋頃に完成させた。それとともに地名を長浜に改め、小谷城から家族とともに移り住んだ。
天正10年(1582年)、信長が本能寺の変によって急死。信長の遺領配分を取り決めた清洲会議において、長浜城は勝家甥の勝豊のものとなり、秀吉一家は城を離れることになった。
余談だが、数年前にケーブルTVで再放送された大河ドラマ「おんな太閤記」(NHKでは昭和56年放送だが、このときは観ていなかった)で特に印象的だったのが、この長浜城から琵琶湖を眺める秀吉(西田敏行)・おね(佐久間良子)夫妻の姿だった。
清洲会議の結果、長浜城を離れることになった秀吉が、天守閣で傍らに立つおねにこう言うのだ。「おかか、わしはこの長浜に必ず戻ってくる」と。このシーンが実に感動的だった。
柴田勝家と信長の後継者争いを競っていた秀吉は、早くもその年の11月には勝豊を降伏させ、長浜城を取り返していた。城は勝家を敗退させた賤ヶ岳合戦の拠点となったが、秀吉は翌1583年には大坂城を築き始め、一家が再びこの城に住まうことはなかった。
その後、山内一豊が6年間城主を務めた。一豊とその妻・千代は来年の大河ドラマの主役となるので、長浜城が再び脚光を浴びるかもしれない。
1615年(元和元年)、豊臣家が滅亡したのちは城は跡形もなく取り壊され、石垣など材料の大半が彦根城の建設に流用された。
現在の長浜城は、昭和58年(1983年)に市民の寄付金などで建設されたもの。内部はエレベータなどを備えた近代的な造りで、歴史博物館となっている。
右は天正15年の九州攻略の折に秀吉が被っていた兜の複製品で、本物は東京国立博物館にあるそうだ。
これは、長浜城築城の様子のジオラマ。当時の絵図面などは残っていないため、ま、こんな感じだったのだろうという想像図だと思われる。
他に鉄砲や秀吉、おねの肖像画などの展示品を見ながら子どもたちに当時の歴史を語って聞かせつつ、階段を登っていく。
展示室は2フロア分。博物館としては小規模な方だが、子どもが飽きてしまう前に終わってしまうので、我が家としてはちょうどいい規模だった。
階段を登っていくと、「戦国パノラマ展望台」と銘打った望楼に出る。
海かと思うほど大きな琵琶湖が眼前に広がっていた。
当時の天守閣とは少し位置は違うものの、425年前の秀吉とおねもこの眺めを見ていたのだと思うと、感慨もひとしおだった。
反対側に回ると秀吉が落とした小谷城跡を臨むことができ、歴史のロマンを感じることのできる展望である。
あと、子どもと大いにウケてしまったのが、この「太閤井戸」という遺構。
名前に釣られてせっせと100m歩き、「井戸はどこ?」と探した結果、あまりのイメージの落差に驚き、次には笑ってしまった。
どうして湖に浸かっているんだか。潮が引いているときは側まで行けるが、満潮時には石碑だけ浮いて見えるという。これでは井戸として用をなさないと思うのだが・・・。当時はここまで水が来ていなかったというのが、中1の息子の見解である。
だが、ただ大笑いして済ませたのでは、息子の勉強にならない。わたしは、「来年、日本史の授業で豊臣秀吉を習ったら、ぜひ先生に『長浜城に行って、太閤井戸を見てきました』と言ってごらん、こんな滅多に見られないものわざわざ見学してきたと言ったら、先生きっとびっくりして感心するよ」と言い聞かせた。すると息子は、「ほんと。あんなもの、確かに滅多に見られないよねえ」とゲラゲラ笑っていたのだった。
そう言えば、平成15年に朽木の全国大会に参加したときは、やはりどこかのP.Aで一泊後、名古屋城を見学していったんだったっけ。あの城も中身は近代的な建物になっていて、ちょっと味気なかったもんである。今度は、姫路城のように昔のままの姿を留めたお城を見てみたいと思った。
※平成15年の朽木行きキャラバンはこちら
長浜城歴史博物館
 
 住所:滋賀県長浜市公園町10-10 Tel:0749-63-4611
 営業時間:9:00〜17:00(入館受付は4:30まで)
 料金:大人(高校生以上)400円 小・中学生100円
 
朽木に到着
長浜から朽木までもう少し。琵琶湖沿岸をぐるりと北上し、回りこむようにして反対側へ進む。途中、賤ヶ岳の近くを通り、「古戦場跡」という看板を横目に見ながら通り過ぎる。内心はもちろん、「あ、、、、行きたい。」だった。
さて、あと少しかと思われた朽木への道だが、道路が細いためなかなか距離がはかどらない。途中、対向車とすれ違えない細い橋などもあり、冷や冷やもんだ。
で、最後は右の画像にもある赤い橋を渡る。ここから河川敷でキャンプするキャンピングカーやテントが見渡せ、実に壮観だった。
やった、やっと到着した! という実感が味わえるのが、この橋である。
ここは以前来たとき「朽木村」という住所だったが、市町村合併により「高島市朽木」に変わっていた。だが、河川敷へと降りていく道のわかりにくさ、狭さ、河川の雰囲気はぜんぜん変わっていない。実に3年ぶり、本当に懐かしい。
河川敷に降りていくと、関西メンバーさんたちが待ちかまえていて、誘導してくれた。お久し振りの顔あり、初めての顔あり。関西弁が飛び交って、関西に来たんだなあと、ビールを傾けつつ実感する。
川は穏やかに流れ、上空にはトビが舞う。それも懐かしい光景だ。
水際には網を持って遊ぶ子どもたちの姿がある。
でむ@大阪さんの話では、去年の台風による増水により、川の流れや深みが変わってしまったという。だが、奥の方へ行かなければ手前はくるぶしまでの深さで、比較的安全な川だ。
娘は地元の子どもたちと一緒に遊びたげだが、到着したばかりで気後れしている様子。中1のお兄ちゃんは川遊びに興味がなく(実はあとで遊んだのだけど)、付き合ってくれそうにもない。
そこで、わたしがそばまで一緒に行って「なに捕まえてるの?」と話しかけ、「あ、おたまじゃくし!」などと叫んで、娘が入りやすいようにしてやったのだった。
あとは、まったく手間いらず。娘はたちまち地元の子どもたちの間に入り込み、おたまじゃくしすくいに精を出し始めた。わたしはその様子を遠目に眺めながら、でむさんたちとビールを飲んだ。
その日の夕方は、片道30分の「マキノ白谷温泉八王子荘」に家族4人で行き、日が暮れてからは花火を楽しんだ。
初参加の永田@大阪さんファミリーも一緒に、賑やか、賑やか。
MPV7501こと高橋さん、初めてお会いした方だけど気さくで面倒見のよさ100%。
一緒に花火をしてもらった娘も嬉しそうだ。
さて、翌日は何をして過ごそうか・・・と考えていると、でむさんが「大原まで30分で行けるでー」と言う。京都の大原は長男がまだお腹の中にいるとき、そう今から十二年前、訪れたことのある場所である。
今回はぜひ鞍馬寺にも行ってみたい。
そうだ、明日は鞍馬寺に行こう。わたしは独り地図を見て、ひそかに計画を練り始めたのだった。
※その模様は「京都・鞍馬寺観光」でご覧下さい。
 
7/17 義経になる旅〜京都・鞍馬寺観光

 
朽木に到着して2日目。わたしたち夫婦は子どもらをキャンプ会場に残して、京都へと出かけた。NHK大河ドラマで放送中の「義経」ゆかりの鞍馬寺と、その近くにある鞍馬温泉に入るのがその目的。レポはこちら「京都・鞍馬寺観光
 
7/18 最終日
今日は月曜日だが、「海の日」で祝日だ。今日も朝から暑い。暑い暑いといいながらタープの下でビールを飲み、汗をかく。汗をかいてはビールを飲む。それの繰り返しで午前中をまったりと過ごした。
娘は今日も飽きずに川で遊んでいる。この日は昨夜遅く到着した浅川@埼玉さんちのユウナちゃんと水遊びができて、とても楽しかったようだ。
お昼過ぎ、帰宅の準備にかかる。前日に到着したばかりの浅川@埼玉さん、ブラボー@府中さんも一緒だ。
関西メンバーの方々には大変お世話になった。特に、でむさんには鯖寿司のお土産をいただき、感謝感激。この朽木には、京都と若狭小浜を結ぶ古道「鯖街道」なる道路が走っており、鯖寿司を売る店が各所に点在する。その中でも一番美味しいという「栃生梅竹」から、特に上物を買ってきてくださったのだ。
それがあまりに美味しいので、実はもう2コ、自宅への土産に買ってしまった。購入したてもプリッとしてて美味しいが、常温で翌日まで置いておいても、とろけるような風味が増して、これまた美味。通販出来るものなら、また購入したいものだ。
それから、レイクウェスト滋賀さん、HAYAさんたちにも美味しいお料理をたくさんご馳走になり、食いしん坊のわたしはこれまた感謝感謝。関西メンバーの皆さん、どうもありがとうございました。
こうした機会でもないとなかなか関西方面には行かれないので、来年もぜひぜひ関西オフ会、開きたいものである。

さて、ブラボーさん、浅川さんらと一緒に帰宅する途中、せっかくだから近江牛を食べていこうと言うことになり、彦根に立ち寄った。
道路からも彦根城が見え、時間があればぜひ見学したかった。しかし、明日は平日、息子の学校もある。早く帰宅しなければならないので、残念ながらお城見学は見送りになった。
彦根城は元和8年(1622年)に完成した、井伊家三十五万石の居城である。井伊家は多くの大老を輩出した譜代大名の名門。安政7年3月3日(1860年)、「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼は、ここ彦根藩領主であった。16日に見学してきた長浜城(正確には「跡」だが)の資材の大部分はこの彦根城に移築されているというのも、なにかの縁のような気がした。
この彦根の街は、江戸時代にタイムスリップしたかのような情緒溢れる街並みが魅力だ。
下の画像は薬局。頭が痛いという息子のために薬を買おうと訪れたが、閉まっていた。
右下はなんと銀行。こんな銀行で毎日お金を降ろしたりできたら、楽しいだろうな。
で、肝心の近江牛のお店は準備中のため入れなかった。5時から営業ということで、1時間30分以上待つことはできないと、後ろ髪を引かれながら彦根を後にした。
来年の課題は、もう一度関西オフに行くこと。そして、帰りに近江牛を食べ、彦根城を見学すること。
それと、できれば古戦場跡などを見て回ることだ。その時が、今から楽しみでならない。

利用した温泉
 マキノ白谷温泉八王子荘 くつき温泉てんくう(プールのみ画像あり)
 くらま温泉


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