杉江家のどこでも別荘 キャンプ日記
                〜31フィートのキャンピングトレーラーと温泉情報

 

 
平成21年8月19日(水)〜20日(木) Vol.269
那須メンテキャンプ
 8月3日にキャンプしたばかりの那須工房に、今度は防水工事のためお邪魔した。工房代わりのトレーラーの屋根が雨漏りするのでコーキングすることになったのである。
 同時に様々な業者が訪れ、色々な作業を行った。左はCTAメンバーたちが組み立てたUFOをクレーンで吊り上げ、コンテナに乗せようとしているところ。
 こちらは別の業者がバーベキューコンロを作っているところ。
 こちらも別の業者が屋根をコーキングしているところ。って、よく見たらわたしの旦那さんでした。(笑)
 お留守番のレディたん。
 UFOが無事屋根の上に乗りました。満足げなjoybondさん。
 防水処理されたトレーラーの屋根。うーん、いい仕事してますねー。

 わたしはすることがないので、乗用車で那須温泉の温泉街へ。まずはホテルが経営する「小鹿の湯」で入浴。ここは1300年の昔より湧き出でる名湯「鹿の湯」源泉を引いているだそうだ。
 いい感じに老朽化した木造の浴室。左が熱い湯、右にはぬるめの湯が満たされている。酸性・含硫黄−硫酸塩温泉の湯は白濁しており、苦みがある。
 鹿が弓矢で傷ついた体を温泉で癒してるところを発見され、「鹿の湯」と名づけたと伝えられている。
 次に前回も訪れた「老松温泉」に立ち寄り、別荘に戻った。

 防水工事を終え、別荘をおいとま。帰宅する前にちょっとだけ北上して福島県は鏡石町へ。
 昨年廃業した「ホテルまるなか」がリニューアルオープンしたと聞き、訪れてみた。 
 レポはこちら「弘法不動の湯
 
 ところで今年、わたしたちにお盆休みの夏休みキャラバンはなかった。主人のお父さんが体調を崩し入院になってしまったためだ。鳴子温泉でCTAのキャンプ会を開く予定だったが、急遽中止となった。
 わたしが鏡石町の温泉に行きたいと言ったら主人が快く承知してくれたのは、ひょっとしてその埋め合わせのつもりだったのかも知れない。
   
 
 
今回入った温泉 小鹿の湯
老松温泉 喜楽旅館
弘法不動の湯
  
  
 
平成21年9月11日(金)〜13日(日) Vol.270
那須・塩原温泉郷 湯めぐり
 
   那須工房
 那須と塩原の温泉めぐりをすることになって、急遽那須工房にお邪魔した。
 今回は番組撮影のため、なんとテレビ東京さんが同行取材。joybondさんが新しく設置したバーベキューコンロを見せると、カメラが回る。
 joybondスタッフの小島さんが頭痛がすると言いながら作ってくれたお夜食。体調が悪いのに申し訳ありませんでした。いつもながら凄く美味しかったです!
 前回お邪魔したときも10万円もする20年もののワインをご馳走になったのだが、今回もとろけるくらい美味しい白ワインをいただいた。
 テレビ東京さんも宴会に加わっていただいたが、きっちり仕事は忘れず、話が温泉に及ぶといきなりカメラが回り出す。取材のテーマは「温泉の達人」だそうだ。
     
   塩原温泉郷〜「岩の湯」と「不動の湯」
 塩原温泉は狭い所が多いので、joybondさんの車をお借りして出かけることにした。
 パラパラと雨が降るなか、ハンディカメラを携えた取材スタッフ2人とともに河川敷へと下る。
 まずは公共の混浴露天風呂、「岩の湯 」へ。福渡温泉の駐車場から川辺に降りるところまでは標識があったが、そこから先がわからない。あまりちゃんと下調べをしていなかったため右往左往してしまい、通行人に聞いて教えてもらったりした。
下流に歩いて行くと、対岸に裸体も露わな入浴姿が見えてきた。
 吊り橋が架かり、時間外は閉鎖されるようゲートが付いている。ゆらゆら揺れる吊り橋を渡り、対岸へ。
 ご覧のとおり、吊り橋からも対岸のホテルからも丸見えの露天風呂。塩原温泉郷の公式HPには「温泉街から丸見えのため、女性客にはちょっと勇気が必要かも」とある。ちょっとどころじゃない。
 メッチャ必要なんですけど〜ぉ!(゜▽゜;)
 先客の方々に番組の趣旨をお話しして撮影を承諾していただいたので、わたしたちは入浴の準備にかかった。
 が、女性専用の脱衣所なんてものはない。屋根の下が脱衣所になっているのだが、そこで着替えたら湯船にいる人の視線がモロである。
 吊り橋から見て最も奥の方にベンチがあったので、そこに荷物を置いてバスタオルを巻きながらモゾモゾと脱ぐことにした。
 最も大きな丸風呂(右画像)は緑色に濁っており、お湯はかなり熱め。少し舐めてみると、わずかな塩味と薄いダシ味を感じた。湯口ではほんのり硫化水素臭が匂う。
 →屋根の下にある別の浴槽。小さめの四角い浴槽で、青みがかったささ濁り。透明度は高く、ぬるめだ。丸風呂ほど匂いは感じられない。
 50代くらいの女性が前に小さなタオルを垂らしただけで出たり入ったりを繰り返し、堂々と入浴を楽しんでいた。
 わたしはそこまでできず、バスタオルを巻いたまま四角浴槽の縁に腰をおろして足だけ浸けた。人が少なければタオルを外して入ったところなのだが。
 もう一つ、川の水面と同じ高さに岩をくり抜いたような小さな浴槽があった。こちらは一段低くくなっているため人目が遮られ、湯もかなり濁っているので、夫婦2人で入ることにした。
 そこに至るまでの岩場は足元がかなりヌルつき、中に入っても茶苔がヌルヌル。うっかりすると中で溺れそうになる。
 湯温も適温でかなり快適なのだが、茶ゴケのモコモコが体いっぱいに付着するのが困りもの。これが100%湯の花だというのならいいのだが、どうも苔のようなので、できればシャワーで洗い流したいところである。
 ←橋の上からスタッフの方にとってもらった1枚。もっと寄りの画像もあるのだけど、結構すごく見えてしまっているので掲載できないんだわ。(^^;

 さらにもう一軒ある「不動の湯」を目指すが、リサーチ不足のために吊り橋を渡って国道側に戻ってしまった。
 下流に向かって進むも、それらしいものは見あたらない。どう考えても入浴客が通るような道ではなくなっており、ややもすると危険ですらある。
 カメラ抱えて道なき道を進む姿は、なんだか「川口浩探検隊」みたいだ(古〜っ!)
 結局、来た道をそのまんま引き返すことになった。
 栗の木が実をつけ、重みで遊歩道にかぶさっていた。頭にイガグリが当たらないよう、かがんで通り抜ける。
 結局「不動の湯」は吊り橋を渡った向こう岸、つまり「岩の湯」と同じ側にあることが判明。なんだ、吊り橋にあったゲートはそのためだったのかと、思わず地団駄を踏んだ。
 「岩の湯」と同様、岸辺にあるものだと思っていたが、意外と森の奥に位置していた。樹木が発する爽やかな香気を吸いこみながら遊歩道を歩く。
 「クマ出没!」という注意書きを見ながらさらに奥へ進むと、あったあった!
 ちょうどカップルが出ていくところだったので、ラッキーなことに無人となった。
 やはりここも脱衣所が一つきりの超簡素な混浴露天風呂だが、対岸から見学されることもないし人気も少ないので、女性には入りやすいかも。ただし、空いているとき限定だが。
 うっすらと濁った赤褐色と深い緑色の入り混じった湯で、ちょっと熱め。鉄味と鉄臭が強いが、塩分はあまり感じられない。
 わたしたちが上がった直後、男性がそれぞれ単独で3名ほどやってきた。ギリギリセーフだった。
 腕にイレズミを入れた白人男性もいた。日本の温泉が好きとは、また通ですな。しかし、素っぽんぽんの状態でバッグの中をゴソゴソ探し物をしたままなかなか脱衣所から出てくれなくて、困っちゃった。
 混浴という文化は後世まで残しておきたい貴重な遺産だと思うが、せめて脱衣所だけは男女別のものを用意して欲しいと思う。さっきの「岩の湯」では服を着るわたしの後ろ姿にずっと視線を送り続けるおじさんがいた。
 入浴中はもちろんのことだが、着替え中にジロジロ見られるのも非常に不愉快だ。脱衣所を別に設けるだけで、女性のハードルはずいぶん低くなると思う。
 さっき出会ったカップル、実は「岩の湯」をパスしてこちらに来た二人連れだった。
 「岩の湯」にちょっとスダレで目隠しした脱衣所が別にあったら、彼女も入れたかもしれない。塩原温泉協会にはぜひ検討していただきたいと思う。
 ちなみに、「岩の湯」「不動の湯」ともに、入浴料は1回300円。イタズラされないようガッチリ作られた金属製の箱に入れるようになっている。
       
   奥塩原新湯温泉〜新湯「寺の湯」「むじなの湯」
 車を駆って奥塩原へ。かつて訪れたことのある共同浴場「むじなの湯」近くにあって未踏だった「寺の湯」を訪れた。
 ここも混浴なので、建物にドアが1つしかない。脱衣所は左右に2箇所あるが、男女に分かれているわけではない。浴槽も2つあって、青白く濁った硫黄泉が満たされている。
 結構多くの人で賑わっていたので、残念ながらわたしは断念。夫が取材カメラとともに入り、地元や観光で訪れた人たちと和気藹々おしゃべりなどをしていた。

 このまま帰ったのではなんなので、久し振りの「むじなの湯」に入ることにした。ここは「寺の湯」の正面にある細い下り坂を下りていった所にある、かつては混浴だった共同浴場。平成14年に男女別に分かれ、その3ヶ月後に子どもらと初入湯している。
 レポはこちら
 女湯は幸い誰も入っておらず、独占状態だった。
 青みのある白濁湯はなんだか神秘的ですらある。
 しかし、しばらく誰も入っていなかったためメチャクチャ熱い。足の先も入れられないほどの激アツで、少しの間ホースを入れて薄めさせていただいた。
 適温になったところで身を沈め、取材カメラに入ってもらう。あれやこれや感想を聞かれるが、薄めたとはいえ熱い。手や足がじんじんと痺れてくる。
 熱さに耐えながら感想を述べ、我慢できなくなったところで「もういいですか!」と、早々に切り上げた。
 しかし、以前と変わらず重油の匂いがする硫黄泉は素晴らしいの一言。これで薄めずにゆっくり浸かれる湯だったら、なおいいのだが。
  
   再び那須工房
 さて、もうひとっ風呂浴びてもいいかなという気がしないでもないが、工房ではカニが待っている・・・んじゃなくて、CTAの仲間が待っているというので、少し早めに帰ることにした。
 これこれ、この毛ガニ! 山田@蔵前さんが送ってくれた毛ガニがも〜たまらん!(意味不明で済みません)
 蟹ミソもたっぷり! もうたまらん。ウマイ!
 絶品! さいこ〜♪

手作り地ビールで乾杯するプチラクーンさん、コニケーさん、suscomoさん
 あ、申し遅れましたが、この日はCTAの仲間たちが応援に?駆けつけてくれていて、全員揃ったところでさっそく乾杯しました。
 りゅう@新潟さんも、つい一週間前この那須工房を訪れたにもかかわらず、今回も来てくれたよ!
 初お目見えのプチラクーンさんともご挨拶。手作りの地ビールを振る舞ってくださり、ご馳走になりました。今度わたしも作りたいと思い、色々とお話を伺いました。
 プチラクーンさんには以前もお話ししたことがあるような、既視感にも似た不思議な親近感を抱いた。
 「どこかでお会いしたことありましたっけ?」とお聞きすると、あちらもわたしに会ったことがあるような気がする、とおっしゃる。しかし、お互い所属していた(している)クラブなどに接点はなく、お台場大会に来たこともないというので、やっぱり今回が本当に初対面らしい。
 
 ←これがプチラクーンさんお手製の「地ビール」ならぬ「自ビール」。名前も味もうまいっ!!
 プチラクーンさんが作ってくれた蟹の殻を使ったパスタ。材料さえあれば何でも作れるそうだ。
 美味しかったです。ビールもパスタもご馳走になりました。
 こちらは山田さんが送ってくれたサンマをjoybondさんと翡翠さんがおろしてくれたもの。これも絶品でした。

 さて翌朝。昨日の温泉めぐりで濡れたバスタオルを干して、出発を待つ。今日もたくさん温泉に入るぞ〜。
 皆さんのお見送りを受けて、いざ出発。
    
   那須温泉神社
 那須神社にやってきた。那須街道が大きくカーブする地点にあり、道をさらに登っていくと「鹿の湯」、そして「殺生石」に至る。
 わたしたちは神社から少しくだった所にある公共の駐車場にキャンピングカーを入れ、まず足湯に浸かった。
 神社のすぐ前にも足湯はあり、こちらは屋内型の立派なもの。分析表によると、利用しているのは「奥の沢噴気泉」。ここでもちょっとだけ足を浸けてから神社にお詣りする。
 神社の説明によると、那須温泉の鹿の湯源泉が発見されたのは西暦630年。つまり1379年前のことだ。
 伝承では、狩野三郎行広という人が鹿を負って山中に迷いこみ、温泉の神の化身である白髪の老婆に出会った。老婆の示唆により鹿が温泉で矢傷を癒すのを発見した行広は神社を創建し、大己貴命や少彦名命といった温泉の神様を祀ったとされる。
 「平家物語」に登場し、優れた弓の腕前を見せる那須与一(なす の よいち)は、この那須の生まれだという。伝承では那須岳で弓の稽古に励み、この温泉神社にもたびたび参詣していたとされる。
 治承4年(1180年)8月、「伊豆の流人」源頼朝が関東武士たちの支持を受けて挙兵すると、与一は源義経の配下として出陣した。
 那須の住人・与一が、京で生まれ育った義経にどこでどう知り合い、どういう経緯で従うことになったのか、その経緯は伝承の域を出ない。
 伝えられるところによると、那須温泉神社に戦勝祈願にやってきた義経が与一を見出し、配下に加えたという。
 母親違いの兄・頼朝が挙兵した際、義経は奥州平泉(現在の岩手県)にいたので、兄の元に馳せ参じる旅の途上で那須温泉神社に立ち寄ったのかもしれない。一人でも多く腕の立つ武将が欲しかった義経が、弓矢の腕前に優れた与一に部下になってくれと頼んだと想像することもできる。
 興味深いのは、十一男であった与一の9人の兄はすべて平家側につき、すぐ上の兄と与一だけが義経、つまり鎌倉側についたことだ。これは義経と与一との個人的な繋がりがあったことを示唆してはいないだろうか。
 寿永2年(1183年)2月、「一ノ谷の戦い」で義経軍による奇襲を受けて大敗した平家はいったん西国に逃れて体勢を立て直し、屋島(現在の高松市)に拠点を置いた。
 水軍を支配していて海戦にはめっぽう強い平家を、山育ちで水軍を持たない関東武士たちは攻めあぐねる。頼朝はやむなく、規律に従わないため討伐軍から外していた義経を投入。義経はさっそく水軍を支配下に置き、「屋島の戦い」が勃発することになる(1184年)。
 平家は海上、鎌倉勢は陸地にあって交戦し、夕方になってしばし休戦状態。双方睨み合っていると、平家側から女官の乗った小舟が進み出てきた。竿の先にくくりつけた扇を射てみよと誘いかけたので、鎌倉勢から誰か射手を出すことにした。
 こうして選ばれたのが、那須与一である。
 的は70メートルから80メートル先で有効射程距離より少し遠く、しかも小舟は波の動きでユラユラと上下している。そして、与一は馬の上だ。
 実は与一が指名される前に、二人の名だたる武士が「いやいや、わたしでは・・・」と辞退している。
 70〜80メートル先というと近いように思えるが、的に当てるにはかなり困難な状況なのだ。
 与一はキリキリと弓矢を絞りながら「南無八幡大菩薩、日光の権現、那須の温泉大明神、願わくばあの扇の真中射させたまえ」と祈ったと、「平家物語」には書かれている。
 知ってるだけの名前を並べたてた中の一つが、この那須温泉神社の主祭神というわけだ。いろいろな神様に祈るあたりは、いかにも日本人らしい。
 那須大明神のご加護か、与一の放った弓は見事的を射貫き、バラバラになった扇が海に散った。鎌倉側はやんややんやの大喝采。与一は一躍ヒーローである。
 平家側はこれで意気消沈したかと思えば、やはり歓声を挙げて与一の見事な腕前を褒め讃え、舞いを始めたという。無骨な関東武士たちは「扇の的」を挑発と思いムキになって射落としたが、貴族的な平家の方はほんの座興のつもりだったのである。そんなことやってりゃ負けるはずだわね〜。
 平家が与一を称える舞いを舞う様子を見て、義経は構わず矢を射かけさせ、踊り手や水夫を殺してしまったという。ここは義経を風雅を理解しない無粋者と見るか、平家が貴族的で無能化していたと見るか、微妙なところだ。人間同士が殺し合う戦場で踊る方がアホなんだと言ってしまえばそれまでだが。
 いずれにしても一夜にして名声を轟かせることになった与一は大いに感謝し、那須温泉神社に新たな本殿などを建立した。彼自身は残念ながら短命に終わったが、後々も一門を挙げて厚く崇敬したという。
    
   那須温泉 清水屋
 さてお詣りも済んだので、温泉神社前の坂道を下って「清水屋」さんへ。取材班が経営者の方に撮影の許可をもらうと、浴室のある地階に向かう。
 日曜日の正午前ということもあって、この日は入浴客ゼロ。完全な貸切状態の中、温泉を楽しむことができた。
 女湯の内湯。左側に湯口があり、樋を伝って右側の大きい方の浴槽に流れこんでいる。左側の小さい方には湯口からしたたり落ちる少量の湯しか入りこまないので、とてもぬるい。
 左側の方が灰色がかっており、口に入れたときの味も若干違う。熱い湯はそのまま飲むと酸っぱみを強く感じるが、ぬるい方の湯は苦みが強く残った。匂いは苦みのある硫黄臭。
 狭いながらも露天風呂があり、雰囲気はとてもよかった。
      
   殺傷石〜奥那須へ
 観光地として有名な「殺傷石」を横目に見て、わたしたちの車は坂道を登っていった。
 かの松尾芭蕉も「奥の細道」の旅の途上に殺傷石見物を思いたち、元禄2年(1689年)4月、門人の曽良とともに温泉神社をまず訪れている。
 その時に詠んだ句は
 
 『湯をむすぶ誓いも同じ石清水』
 山道を上がっていくと展望台があり、素晴らしい眺めが見られた。
 これより上は、「那須高原有料道路」、通称ボルケーノハイウェイで、往復で360円がかかる。
 
 ※平成21年10月29日で有料道路事業期間が終了
   
   弁天温泉旅館
 那須温泉の奥のに位置する”秘湯めぐり”第1弾は、まず弁天温泉旅館から。joybondさんの所に出入りしている那須のお友だちが教えてくれた温泉で、混浴の露天風呂があるという。
 玄関前に出てきた番頭さん?に取材班が撮影許可を求めるとご主人が現れたが、残念ながら取材拒否。わたしと夫だけ入浴させてもらい、スタッフは表で待つことになった。
 浴室は無人で、宿泊客も日帰り客も入浴していなかった。ここは登山帰りの人がよく入浴に来るらしく、現在宿泊中の人もこの時間帯は山にいるのに違いない。これだったらカメラが入っても問題ないと思うんだけど、まあ応じられないというのだからしょうがない。
 お湯は鉄サビ色と緑色が入り混じった、硫化水素臭のするもの。なかなかガツンときそうな実力のある湯である。
 女湯はひょうたん型の小さな内湯一つで、男湯の方は女湯より大きな多角形の浴槽があった。
 源泉温度は48度で、浴槽は入りやすい温度になっていた。
 露天風呂に通じる扉を開けると、そこは男女共有の空間。もっとだだっ広い野湯のような風情を想像していたが、思ったより小ぢんまりとした感じだ。建物の反対側にずらりと二つの岩風呂、樽風呂や湯小屋のかめ風呂などが並んでいて、野趣満点というより、ちょっとしたアミューズメントパークのようである。
 画像の右側が一番大きな岩風呂の「河の湯」。趣のある傘状の屋根がかかって雰囲気もよく、泉質も悪くない。
 画像左側は別の露天風呂で、亀の置物が真ん中に据えてある。4つの源泉を持っているそうなので「河の湯」と違うのかもしれないが、違いがよくわからなかった。
 「夫婦かめの湯」は透明の湯で、濁りはない。
 わたし個人としては、樽だの瓶(かめ)だのあれこれあるより、野趣に溢れた広い岩風呂がどーんとあるだけの方がずっと落ち着く。これも好みの問題で、小さな樽風呂が好きという人もいるだろう。
 それに落ち着かなかった理由として、ここが混浴ということもあったと思う。いつ何時、誰かが入ってくるかもと思うとソワソワと落ち着かず、入った気がしなかった。
 また庭の端の方まで行くと駐車場から丸見えっぽい感じなのも困りもの。
 別に駐車場に誰かがいて覗いているというわけではないのだが、なんだか落ち着かなかった。
 実は後から、もっとのんびり浸かっていたかったなあ〜としみじみ回顧してしまったのが、ここの岩風呂だった。機会があれば、ぜひまた訪れたいと思う。
 ちなみに弁天温泉への入口は狭くて少しわかりづらい。「休暇村」の裏口と、「弁天温泉」という標識が目印。
 そこから狭い下り道をずっと降りた所に旅館はあるが、キャンピングカーだと入れるかどうか迷うところだ。我が家の車幅2.5メートルのクラスCでも入って行けたので、トレーラー以外は大丈夫。もっとも、枝がビシバシ当たってスリ傷がついてしまう覚悟は必要だ。
 左にカーブしている道路の右側にマイクロバスが置かれた駐車スペースがあり、吊り橋への入口になっている。
 駐車スペースを通り過ぎ、さらに下っていくと橋があって、渡るとすぐに旅館。乗用車クラスならそこらあたりにも停めることができるが、駐車台数は極めて少ない。できれば登山客がいない日中の早い時間帯が駐車場も浴室も空いていてお薦めである。
 
   北温泉旅館
 次に訪れたのは北温泉。駐車場から400メートルほど歩いたところにあると聞いて、そうとう覚悟して訪れた。
 駐車場は満車だったので手前の道路に停め、坂道をずんずん降りていく。行きはよいよい、帰りはなんとかって感じの道だ。
 間もなく、谷の底に佇む建物が見えてきた。400メートルと聞いていたが意外に近く、後で350メートルの距離と判明した。
 宿泊客はゴルフカートのような車で送迎がある。
 北温泉には安政5年(1858年)、つまり今から151年前に建てられた古い建物が部分的に残っており、その古びた様子が大変人気を呼んでいると聞く。
 安政5年といえばペリー来航より4年後のことで、江戸幕府の大老・井伊直弼が日米修好通商条約や五か国条約を結んだ年で、さらに「安政の大獄」というオマケもあった年だ。
 旅館に近づくにつれ、妙に懐かしいような感覚にとらわれた。母の実家が建て替えられる前の、トイレが外にあった時代の姿によく似ていたからかもしれない。
 だから古いことは古いが、ごく普通の田舎の建物といった印象である。言われなければ江戸時代創業とはわからないだろうし、それほど重厚な感じはしない。
 興味深いのは、貯水池かと思えた広い水たまりが露天風呂だってこと。せめて岩風呂風に石など並べて飾れば趣も出るし、奥の方が丸見えじゃなくなって女性も入りやすくなると思ったが、水着着用もOKなんだそう。
 それにしても滑り台まで付いていて、これはプールなの? それとも露天風呂なの? と、疑問符一杯のわたし。
 まさか大の大人がスッポンポンで滑り台もないだろうが、といって子どもがたくさん泊まりに来るような宿でもなさそう。一体どんな考えがあって滑り台なんて設置したのだろう・・・と一人考え込んでいたが、後から水着OKの温泉プールとわかって疑問も解消。

 玄関から一歩中に入ると、そこはちょっとした異空間だった。靴が所狭しと並んだ合間になぜか土瓶がぶら下がり、ロビーから帳場にかけてはまるでアンティークショップ。
 時刻は2時をちょっと回った頃で、ちょうど山を下りて来た中高年のグループが風呂を済ませ、出発を待っているところだった。そのため椅子も床の上も彼らのお仲間と荷物でぎっちり。ワイワイガヤガヤ賑やかで、しまいにはビールやら裂きイカやらが目の前を飛びかう状態となった。
 半ばイラッとしながらも耐えに耐えつつ椅子に座るわたし。実は浴室が混んでいるのでちょっと待ちましょうと、時間調整しているところなのだ。
 こっちは昼食抜きで空きっ腹、目の前で缶ビールぷしゅ! ウメボシどうぞ。なんてやられても、ひたすら忍耐。
 隣りに座るオッサンはビール臭いわ、裂きイカ臭いわで「も〜限界っ!」とキレかけた頃、ようやく入浴することになった。
 それにしても、ここのご先祖の写真見て、つくづく凄いなと思った。うちの家系程度じゃ江戸時代のご先祖様の名前もわからないが、ここではちゃんと写真まで残ってるんだよ。
 左のお方は3代目御当主の大吉さんで、文政元年(1818年)の生まれとか。
 ロビーの端っこにある「足洗い場」。と言っても、誰も足を洗っていなかったけど。
 下の2枚は、偶然にもウチの猫たちと同じ柄の子たち。宿泊のお客さんが「久し振りだな〜」と撫でていた。
 安政時代の建物は「松の間」というところだけで、あとは明治と昭和の建物と豪農の住まいだった古民家を移築して構成されているという。
 ←「天狗湯」に向かう廊下のあたりはもっとも古い建物のように思われ、歩くと板がギシギシと鳴る。
 廊下に神棚というか神社のようなのがあって、薄暗いなか仏像が祀られている。廊下の暗いところにはランプが置かれ、ちょっと独特の雰囲気だ。鄙びているとかいうより、本当に異空間といった言葉しかみつからない。
 思わず深夜、真っ暗な廊下をギシギシいわせながら浴衣姿で歩く自分を想像してしまったが、一度は恐いもの見たさで泊まってみたいものだ。

 さて、ようやくお風呂にありつくことができた。まず最初に女性専用の「芽の湯」という、最も新しく造られた浴室にやってきた。ここへ至る階段も新しくて小綺麗な造りだ。
 ちょっと慌てていて画像がピンぼけになってしまった。残念!
 まるでウナギの寝床のように横長で幅の狭い浴槽で、右側は洗い場になっている。お湯は無色透明で鉄サビ色の小さな湯の花がチラチラと舞う。味はほとんどなく、さらっとしている。
 どうして「芽の湯」と言うかというと、旅館の説明によれば古来より眼病によいとされていたため「目の湯」から転じて「芽の湯」となったという。
 慶長7年頃(1600年初め)、この地の藩主になった大関氏が「目の湯」の下に御殿を建て、お姫様専用の湯殿としたため最初は「姫の湯」と呼ばれた。それが明治以降は「女(め)の湯」と呼ばれ、その後、湯治は混浴が主流であったところから「芽の湯」となったという。
 続いて男女別の露天風呂「河原の湯」。
 えらく手狭な露天風呂だが、眺めは悪くない。河よりちょっと高い位置にあって、川越しの緑が美しい。
 鈴の音が聞こえたのでちょっと身を乗り出すと、遊歩道を歩く登山客の姿が見えた。
 後方に視線をめぐらすと、滝と呼ぶにはちょっと抵抗をおぼえるような河の段差がある。
 凄く開放的というわけではなく、でも遊歩道からはチラ見えという、ちょっと中途半端な感じのロケーションだ。
 お湯もなんだか薄めで特徴ないし、他にも男女別の露天風呂があるというので、ここは特に入らなくてもいいかなーと、後で思った。

 混浴の「天狗の湯」。豪快に注ぎこまれる豊かな湯量、壁に飾られた怪しげな天狗の飾り。かなりそそられる浴室だが、脱衣所は男女の別がない開けっぴろげなもの。残念ながら、わたしは遠慮させていただいた。
 下の画像は隣にある「打たせ湯」。こちらも混浴だ。

 夫が「天狗湯」から出てくるのを待って宿の人々にご挨拶し、建物を後にする。
 玄関を出て左側、温泉プールのすぐ傍に「相の湯」の湯小屋が建っていた。ここは男女別なので、最後に入ることにした。
 うっすらと緑色に濁った熱い湯がざぁざぁと掛け流れていて、わずかに鉄味・鉄臭あり。
 昔ながらの湯小屋の風情に、ここが一番お気に入りだったりして。
 
   太らん
 そして最後の「締めの湯」には「おおるり山荘 高雄の湯」を選んだ。ここの大露天風呂は大好きな硫黄泉であることに加え、入る人も少なくて開放感もあり、特に気に入っている所だ。
 しかし、この時は珍しく入浴客がおり、お願いして一緒に映像に収まっていただいた。ここまでは一人きりの入浴が続いたので、他のお客さんとのおしゃべりがとても楽しかった。
 すべての撮影が済んだので下界に降り、ダチョウ料理の「太らん」で夕食をいただくことになった。
 ここは以前にも訪れたことのあるお店。最初はお蕎麦にしようと話していたのだが、たまたま前を通りかかったので、こっちになったのだ。
 →前の「太らん」レポはこちら
 話は違うが、前の日の午前中、「太らん」の先に温泉があると聞いたので行ってみた。
 すると確かに「鷹の湯」という看板が畑の脇に立っており、ナビには「日興リバーランド」というキャンプ場のマークが表示されていた。それを目指してさらに進むと、なぜか右翼さんの本部みたいな敷地に行きあたってしまった。
 地図によると門のある位置は明らかに道路と思われるが、真ん中に立ち塞がるような感じで四角い石が置かれている。ここから先はどう見てもよそ様の土地といった雰囲気で、進むことはできなかった。
 近所の人に話を伺うと、「鷹の湯」の手前に右翼さんが敷地を構えてしまったので、お客が行かなくなったと話していた。
 じゃあ潰れてしまったのかと思ってネットで調べてみたが、そういう情報も見あたらない。
 googleマップで見ると右翼さんの土地は道路に沿って区画されており、道路を不法占拠しているわけではない。そして、日興リバーランドはその奥にちゃんと位置している。
 なのに、道の突きあたりに人んちの門が建っているように見えてしまったのは、どういうことだろう? そこを真っすぐ突っ切ってしまっていいんだと知らなければ、たいていの人は引き返してしまうに違いない。また那須に行ったあかつきには、ぜひともこの件を確かめたいと思う。
 さて、「太らん」に話を戻す。
 大好きなダチョウのユッケをいただき、もうご機嫌。入浴の疲れなど吹き飛ぶくらい美味しかった。
 刺しや焼き肉も美味しくて、特にハンバーグはふんわりと柔らかくてすごく気に入った。
 ただ、ユッケの味付けがちょっと濃すぎるのと、お店のお姉さんが無愛想なのが気になった。
 さて、今回の旅はこれでおしまい。この日収録した温泉の模様はテレビ東京さんの「日曜ビックバラエティ」(10月11日)にて放送される予定です。皆さん、観てね。
 
         
今回入った温泉 塩原温泉「岩の湯」「不動の湯」
奥塩原新湯温泉「寺の湯」「むじなの湯」
那須温泉 清水屋
弁天温泉旅館
北温泉旅館
おおるり山荘 高雄の湯
  
杉江家のどこでも別荘 キャンプ日記

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